【考察】西野カナ「会いたくて震える」は、なぜ笑われるのか?

こんにちは、ハスキーです。

西野カナと言えば、大人気シンガーであって、女子高生を中心に支持を得ている凄い人である。

一方で、歌詞の中、西野カナを象徴するフレーズが馬鹿にされていたりする。

一体どうして「会いたくて震える」が笑われるのか?

僕は真剣に考えてみようと思う。

「会いたくて震える」はどのように笑われているか

ネットをちょっと巡ってみると、「会いたくて震える」を馬鹿にした発言が多くみられる。

2ちゃんねるでも度々話題になっており、次のタイトルで端的にそれが伺える。

西野カナ「ヴあ゛あ゛あ゛ぁ震えるぅヴヴぁあ゛あ゛!!」ガタガタガタ : 2chまとめ・読み物・長編・名作/2MONKEYS.JP

というのは、このタイトルが受けを狙ったものだからである。「西野カナ=会いたくて震えるという皆の認識」がある前提で笑いを取ろうという意気を感じた。

西野カナの歌は大人気だけあって、テレビや有線や、色々なところで耳に挟む。

歌詞は恋愛や友情に関するものがほとんどで、西野カナはストレートに「恋心」「人肌の温もり」「嫉妬」「感謝」等の感情を歌っている事が多いようだと思っていた。

どうもそれは熱心なファンではない多くの人も感じているようで、「内容が無い薄っぺらな歌」と批判されているみたいだ。(そして、多数の支持者vs数多くの孤独な異論者の言い争いに発展する)

僕としても、あまりメジャーな歌は聞かない方であり、どうしてかといえば僕がひねくれて冷めた人生を送っているからであって、多くの人の心に届くホットでストレートな単語の連なりが耳障りに聞こえてしまう事もある。

メジャーな人達の言う事が、僕の経験と重ならず、上手くイメージ出来ないからだ。

だから、西野カナは「ああ、僕にとって何だか居心地の悪い歌を歌う人だな」「会いたいというフレーズを歌詞に良く入れるらしい」「会いたくて震えるが人気」というくらいしか知らない。

そんな状況があったので、上記タイトルを見て、僕は少し笑ってしまった。

西野カナは本当に馬鹿にされているんだなと思った。

しかし、ある日、わたくしハスキーはハッとした。

「会いたくて震える」

どうしてこのフレーズだけが注目されているんだろう。

確かに、なんとなくインパクトを感じる。

だがしかし、一体、このフレーズだけ取り出して馬鹿にされる理由は何なんだろう。

考察を始める。

「会いたくて震える」というフレーズは歌詞である。

歌詞は、音数の制限があるので、しばしば省略された言葉で綴られる。

丁寧に復元するなら、恐らく「会いたくて震える」は以下の内容である。

「(私はあなたに)会いたくて(まるで心が)震える(ような気持ちだ)」

まぁそうだろう。誰もがこのように比喩だと分かっていながら、それでも何か特別なものを感じて、馬鹿にしている。

ともすると、通常の比喩とは何か異なる構成をしているのだろうか?

同じ比喩で、次のように言葉を入れ替えてみる。

「(私はあなたに)会いたくて(まるで心が)破裂する(ような気持ちだ)」

ふむ。しかし復元された文章は何もおかしな所が無い。

…ん、いや待てよ。これを元の歌詞の形に省略してみたらどうだろう?

「会いたくて破裂する」

これは明らかにおかしい。

こんな歌詞が歌の中に唐突に出てきて、例えばミュージックステーションで、歌詞テロップ付きで歌われたら、間違いなく吹き出す。

「Ah~Ah~♪ 会いたーくてー、破裂するぅー♪」よせよ笑っちまう。

「会いたくて震える」は構造として、あまり耳慣れない比喩なんだろうか。

では、他の人の歌詞に出てくる比喩と比較してみよう。

西野カナと同じく、女性シンガーソングライターとして有名なaikoの歌詞を引用する。

(「女性シンガーソングライター」で検索して恋愛観が支持されていると思う人をチョイスし、歌詞検索で上位に表示された人気の歌からピックアップした)

僕の前から消えた 君の心が消えた

①「(まるで私の心から)君の心が消えた(ような気持ちだ)」

うん。別になんともない。

悩んでる身体が熱くて 指先は凍える程冷たい

②「(まるで私の)身体が熱い(と感じる程)悩んでる」

違和感は無い。少なくとも西野カナのように『aiko、悩み過ぎて身体が発熱!』と馬鹿にされたりはしないだろうし、されてない。

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
こんなに好きなんです 仕方ないんです

これを見つけた時に、ピンと来た。

③「(私の恋は、まるで、私が)夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして(いるかのような、手の届かない所で展開される激しいものという実感です)」

(全体像を知らないと分かり辛い解釈だが、歌詞に目を通して吟味したところ、この歌は「叶わぬ恋」を歌っているようだ)

例が少ないかも知れないが、あまりに数を挙げ過ぎると”キリが見えない霧ヶ峰”という事になってしまうので、上記から考察を続ける。

①、②の「君の心が消えた」「身体が熱い」と、カナやんの「会いたくて震える」には違いがある事に気付いた。

aikoの例には主語が明記されているが、「会いたくて(心が)震える」はそうじゃない。

西野カナの歌詞は、主語(心が)が省略されているのだ。

ところが、違和感の無いaikoの③「夏の星座にぶらさがって」も同じように主語が省略されている。

この違いをどのように考えるか。

①・②と③を比較する事で答えが見えてくるのではないか。やってみる。

①「心が<消える>」、②「身体が<熱い>」は、「主語が<抽象的な状態>」で表現されている。

対して③「(私が)<ぶら下がる>」は、「省略主語の<具体的な動作>」を表現している。

ひょっとしたら、歌詞という文章形式において、主語の省略は、歌手(歌詞上の主人公)の具体的な動作を表す、あるいは、通例として表されてきた…。

このような仮説が立てられるのではないか。

女性シンガーに限らずセールスのあった曲の歌詞を調べてみる。

と、ここで仮説をひっくり返すフレーズが出て来る。

ゆずの歌詞だ。

悔しくて眠らなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった

「(私は)恐くて(まるで心が)震える(ような気持ちで過ごした)」

なんと「会いたくて震える」と同様の構造である。

それでいて違和感が無い。

はて…どうしたものか。

が!

違う!

歌詞の全体を通して見ると、語られている内容の省略があった!

「(私は、失敗が)恐くて(まるで心が)震える(ような気持ちで過ごした)」

(苦難を乗り越える強い気持ちを歌っている『栄光の架橋』という曲だ)

この「失敗が」を、くどくなるから明記していないのだ。

この歌詞においては(「恐くて震える」という表現においては)、歌全体の内容から主語を推測できる為に違和感が無い。従って、別件である。

歌詞の比喩探しを続ける。その中でも、主語が省略されているものを。

スピッツの曲に比喩を見つける。

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ
ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて

「(私は)喜びを(まるで)抱きしめる(ように感じて)強くなれる」

「省略主語=私の<”抱きしめる”という具体的な動作>」の構造である。

Mr.Childrenの曲に比喩を見つける。

カンナみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯しては
また光と影を連れて 進むんだ

「(私は)命を(まるで)削って(いるように消耗しながら)進む」

「省略主語=私の<”削る”、”進む”という具体的な動作>」の構造である。

夏川りみ(森山良子)の曲に比喩を見つける。

夕暮れに見上げる空 心いっぱい あなたを探す

「(私は)あなたを(まるで)空(のような居るはずのない場所)から探す」

(もう会えない人を思い慕い歌っている『涙そうそう』という曲だ)

「省略主語=私の<”探す”という具体的な動作>」の構造である。

恐らく例外もあるだろうが、主語を省略した比喩は、私の動作を表すという仮説は概ね正しそうである。

さて、西野カナに戻る。

「会いたくて震える」

このフレーズには主語が無い。そして、震えるというのは具体的な動作を示している。

どうなるか。

あくまで、歌詞表現の通例において、という話だが、

「西野カナの<”会いたい”という状態>」は良いとして、後半である。

「西野カナの<”震える”という具体的な動作>」を表す事になってしまう。

(心が)震えると表現したいはずなのに、省略している為に、歌の比喩表現に慣れている人程、何となく、(私が)震えるという意味に聞こえてしまうのだ。

西野カナが振動している。

これこそが、西野カナの「会いたくて震える」が馬鹿にされ、笑われてしまう理由ではないかと考えている。

恐らく、「会いたくて震える」が気になってしまう人は、”歌という表現形式の通例から外れている違和感”を何となく感じ取って、このフレーズを取り出して笑うのである。

わたくしハスキーとしては、とても納得が行ったのだけど、皆さんはどうだろう?

さて、では、なぜ、10代vs我々という(大まかな)言い争いの図式が出来てしまうのか。

多分、年々、世代を経るに従って、人々は音楽を聞かなくなってきている。

歌の比喩表現に慣れる機会が減ってきている。

10代の世代より、私の世代の方が音楽を聞いた。そして、我々より上の世代の方が音楽を聞いた。

だから、10代の世代は、歌の比喩表現の「当たり前」のようなもの、フォーマットに我々より慣れていないのかも知れない。

学力がとか読解力がとかいう話でなくて、彼らのせいでなくて、昔より歌を聞かない社会になったという事だ。

我々が「会いたくて震える」と聞いて、「おや?」と”思える”のは、世代のおかげである。たくさんの歌を”社会に聞かせてもらいながら”育った。

逆に、10代の世代が「会いたくて震えるの何がおかしいの?」と思っても仕方がないかと思う。我々よりフォーマットに慣れていない。

そして西野カナのように、歌う側の人にも歌の形式に慣れていない人が出てきて、人気になって、皆が聞いて、それが当たり前になって、通例から徐々に遠ざかっていくという循環構造があるのではないかと思う。

歌はお金を生まなくなったというのが背景にあるように思う。

文化はお金の流れと共にある。そして、歌という文化は現在進行系で変わっている。

「会いたくて震える」というフレーズが象徴するように。

名言めいた事を言うなら、ひょっとしたらそういう事なのかも知れない。

「ハスキーボイス」ブログ管理人ハスキー

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